n回目の人生

フィクションを交えながら日記を書きます。

時間が飛ぶように流れる

人はそれを充実している証というが、必ずしもそうではないよね。

といっても、別に充実していなわけではない。もっとやりたいことやるべきことがあるのに時間と体力と脳みそがついていってない感じ。

 ほんと、同居の家族がいなくてよかった。家族がいたらもっと迷惑かけてるたぶん。同居の親や子がいたら、もっとその他の用事に時間を取られるわけで、ほんとに普通の人を尊敬するよね……。

それで、昨日はわりあいと早い時間から出かけた。といっても18時頃か。月が北西の低い位置に浮かんでいて、ずいぶんと輝いていた。満月は金曜の夜だったというから、たぶん十六夜の月というやつなのだろう。

昨日も話しをしたことだけど。

写真は仕事でも趣味でも撮るけれど、あまりドラマチックな加工をするのは主義じゃない。インスタとか、フィルター有りきのものは別として、本当に撮りたいものは、フィルターをかまさずに、絞りや露出やシャッタースピードで写したい主義、というかタイプ、か。日常の中で「この光景を写真に残せたら」と思うことは珍しくないんだけど、ほとんどが写真にするとただの風景写真になってしまう。それは自分の腕や技術の無さを原因とすることもあるが、自分が感じる美しさや感動というのは、色や見た目の美しさではなく、それ以外の様々な要因が絡み合って溶け合ったところにあるからなのだと思われる。

昨日の十六夜の月は、とうてい写真に写せない類の美しさで、思わず月見で一杯やりたくなってしまった。が、しかし、積雪が多く座り込めるような場所はない。どういうわけか、屋外でアルコールを飲むことが好きなようで、スキさえあれば飲みたいと思っているけれど、月のきれいな晩はなおさらで、せめてもと思いコンビニでほろ酔い苺を買ったが好みには合わないお酒であったことよ。

そしてこんな気分の時には、ドロドロとした日本文学の古典を読みたくなる。古典と言っても、近松門左衛門レベルまで遡らず、三島由紀夫だとか谷崎潤一郎だとか、そのへん。がしかし、例えば江國香織もそうだけど、あいつらの文章はマジで絡め取りに来るから危ないんだ!すぐに浮上できればいいのだけど、昨日はちょっと危ない感じがしたんだ。

ということで、文字の圧が少しだけ強い今日の日記でした。